アマルティア・セン教授、震災復興を語る

アマルティア・セン教授震災復興で考えるケイパビリティ

2012年2月6日、六本木にある政策研究大学院大学を会場に、アマルティア・セン教授の講演会が行われた。プログラムは、講演会とパネルディスカッションがセットになっていて、もともとは福島大学大学院東京サテライトキャンパス開設記念のフォーラムだ。facebookでシェアされているのを見て申込み、参加してみた。途中、定員超過になったらしく入場整理のチケットまで送られてきた。そりゃそうだ、ノーベル経済学賞受賞者の講演会が日本で聴ける機会などそう多いわけではない。会場には招待された外交関係者(青ナンバーの大使館車両も見かけた)、大学関係者、大学院生らが詰めかけていた。

セン教授は、マグナカルタに匹敵する内容が含まれているとも評価する、聖徳太子の憲法十七条から語り始めた。日本人の道徳など、世界から注目される国民性はここに起源があるといった調子だ。震災が起きたとき、パニックにもならず冷静に行動したことを称えていた。講演では、いくつもの論点を示しながら、震災復興について語っていた。

ノーベル経済学賞を受賞する理由ともなった貧困の研究では、セン教授はケイパビリティという特徴的な用語を用いる。これは「個々人に与えられた潜在的な選択能力」を示すもので、教育を受ける機会などを失った結果として選択肢が見えない状況を言う。つまり同じ資源を与えられても活用できる人と活用できない人が生まれてしまうこと、発展途上国に単に食糧やインフラを援助するだけでは貧困は解決しないことを示したものだ。そこで重要なのはもう大きくなってしまった大人ではなく、子どもたちにこれから教育を受ける機会を保障してやることだ。その意味で、教育が発展のためにいかに必要なのかを明治維新以来の日本は示してくれたとも語った。

講演中にとったメモから一部抜粋して紹介しよう。

  • 福島第一原発事故は、不確実性の存在を改めて明らかにした。
  • 人間の命、福祉・自由・能力に焦点を当てる必要がある。『正義のアイデア』という著書でも明らかにしたことだが、哲学的な問題である。
  • 自然災害であっても、洪水のように社会的な要因を考えなければならないことは多々ある。自然災害だから自然に任せて良いということにはならない。
  • このような事故は失業を生み出すし、これに対しては公共政策で対応が可能だ。
  • 福島が復興を果たすことは重要だ。医学上の問題、放射線被曝の知見は原爆症対応であるわけで、モニタリングを続けなければならない。
  • 18歳の時、口腔ガンにかかり、放射線治療を受けた個人的な経験がある。その影響は大きかった。
  • 県外・県内で避難されている人々は多く、複数回の引っ越しを余儀なくされている人々もいる。こういった人々はいずれ自宅に帰れると希望を持っている。数年以内に帰れると思っている人もいるが、不確実な状況である。疎外感を感じてしまう人もいるので、メンタルヘルスは重要な対応である。
  • また、影響が甚大なのは貧困な地域である。日本のような豊かな国では公的資源を含めて影響を弱めることができる。公的資源が公正に使われることにも監視が必要だ。しかし、急激に剥奪されてしまったケースへの対応には慣れていない。住み慣れていた土地をなぜ離れなければならないのか、子どもたちには特に納得のいかないことだろう。失業した人々についても、自宅を追われいる場合にはより解決が難しい。
  • 公共の行動主義が、人間の能力を取り戻すために必要だ。困窮に陥った人々を助けるために社会の動きが必要だ。
  • 欧州危機を見ると、人々は公的支出が減らされることで失業していく過程にある。1930年代の世界恐慌で経験したように、公共支出を減らすことでは解決しない。

つまり、津波で家を失い失業した人々、原発事故で避難している人々、そして家族・地域・世代のつながりを断ち切られてしまった多くの人々はケイパビリティを失った状態なのだと指摘する。ある研究会では、18兆円もの復興費用をつぎ込む必要があるのか?3~4兆円もあれば津波被害地域や原発避難地域の土地を買収できるし、被災者・避難者に現金を渡すことができるから良いのでは?という提案を耳にした。ある意味で経済学者の考える経済合理性にかなっているのだが、セン教授の指摘ははっと目を覚まさせてくれるものだった。一方的な措置ではなく、選択肢があることが重要なのだと気づかせてくれた。