インドネシアと日本

春休み、年度末仕事を片付け、インドネシアに家族とともに旅立った。3泊程度の旅行だったが、リフレッシュできた。インドネシアを訪れるのは2年続けてで、昨年はシンガポールからフェリーで1時間ほどのビンタン島、今年はバリ島だった。

ほぼリゾート内から出ない滞在であったため、空港との往復以外は町中の様子はよくわからない。でも、夕方到着した空港周辺が多くの地元民が集って賑わっていたのに、大きなエネルギーを感じた。滞在中は、リゾートのインドネシア人スタッフといろいろと話す機会があった。たまたま、昨年のビンタン島からバリ島に異動になってきていたスタッフとも再会できたのはうれしい驚きだった。

再会できたスタッフとは、インドネシアの急激なモータリゼーション、特にオートバイから自動車への過渡期について昨年は語り合ったのを思い出した。インドネシアの人口は約2億4千万人で世界第4位である。日本の人口のおよそ2倍ととらえて大きくは違わない。しかも年齢構成が若く、伸び盛りの国である。インドネシアに進出して成功している日本企業がいくつも紹介されるようになってきている。ポカリスエット、ヤクルトしかり。

別のスタッフからは日本国内にあるリゾートへの転勤を申請したのだが、日本の労働ビザが下りなかったのが残念だ、また再度挑戦したいという話も聞いた。特に冬季の北海道でスキーリゾートに勤務したいらしい。インドネシアでは雪を見たことが無いからとも。彼の仕事がハウスキーピングだったのもNGだった原因かなとぼんやり考えた。スポーツインストラクターやシェフだったらビザが下りたかも。

インドネシアの教育課程で、日本語の学習熱が高いそうだ。英語と日本語を同時に学ぶことができる学校も増えていると。スタッフたちも英語+片言の日本語といった、中等教育以上は受けてきた人々なので、ある程度割り引いて聞かなければならない話かもしれない。ともかくも、日本が好きで、日本語を勉強したいと思う多くのインドネシア人が生まれているのは確かなことだ。

日本にEPA(経済連携協定)に基づいて来ているインドネシア人の看護師見習い・介護士がいる。ようやく看護師の国家資格にパスした人が出たということで喜ばしい。もともとFTA(自由貿易協定)と言わないのは、農産物は自由化せず、バーターとして看護・介護分野に限って労働者を受け入れる条件になっているからである。

インドネシアは親日で知られていることを帰国してから知った。350年間に及ぶオランダの植民地支配から解放したのが日本であり、旧日本軍兵士が独立戦争でもインドネシア独立軍に味方として加わっていた歴史があるかららしい。独立宣言文の日付が皇紀になっているのは有名らしい。歴史は歴史としても、日本の経済力や文化がインドネシアの人々に未だなお魅力に感じてもらえるならうれしいことだ。

将来的に国力が増してきたとき、更なる発展のために高い専門能力を持つ人材の要請があるだろう。そういった人材を受け入れて教育する場所として、日本の高等教育機関が選ばれるような状況が望ましいと考える。かつて、中国からの留学生は親族からの借金をかきあつめて渡航費用・入学金にし、来日してからアルバイト漬けで学費・生活費はたまた仕送り分まで稼いでいたものだ。現在は、経済的にとても困難な留学生はそもそも入管が門前払いしていることもあって、状況は変化してきている。インドネシアからの留学生についても、かつての中国人留学生と同じような道をたどるのではないだろうか。