塾無し・模試無しの中学受験

中学受験も終わり、新学期を迎えている三女のことを備忘録的に書き記しておきます。塾無し、模試無し(正確には無料の全国小学生テストとZ会小学生テストの計2回)で、近所の私立中高一貫校に入学することが出来ました。子ども本人の個性や素質、そして面倒見られる親の時間的余裕あたりも関係するので、万人にお勧めしようとは思いません。男女御三家とか、適性検査型入試向けには役に立ちません。ほら、あれです、成功者が「朝食はいつもパンでした」みたいな話をしても、因果関係の証明はできないやつです。

長女は私立中高一貫校、次女は中学受験失敗からの公立中学→推薦での高専(休学して高校留学)という進学をしています。双子だったので塾通いは2人で行かせていました。現在でも、お互いに勉強を教え合ったりするようです。私は進路相談は受けますが、勉強内容には立ち入りません。

姉たちの姿を見ていた三女は「中学受験しな~い、自宅ドアから教室まで5分の公立中学に行く!」と言い続けていました。次女が予鈴鳴るまで朝ゆっくりしていたのを知っていた影響でしょう。小学校から帰宅しても、読書したり、録画した「科捜研の女」再放送を視聴するのが大好きなインドア派でした。

小6になって保育園からの同級生との周囲が気にするレベルのトラブルが発生したり、次女の通っていた公立中学の生徒や教員の質に疑問があったことに加え、近所の私立中学に名物校長が着任したことが再検討の材料になりました。三女に、もしかすると大学まで受験無しで進学できるかもよ、歩いて通学できるよ、などと持ちかけて、学校説明会に連れて行きました。

学校説明会では、ワークショップ型体験授業があったり、学校設備が更新されてピカピカだったり、それなりに三女も思うところがあったようです。国語と算数の2科目に絞って対策を始めることにしました。これが夏前のことです。

三女の読書量は多く、極めて正確に読み終えます。ハリー・ポッターの厚みのある1巻を2時間程度と言えば想像できるでしょうか。写真的な記憶ができる、少し偏った能力も持っています。国語に関しては、宿題の音読練習が音読にならず、教科書を写真的に覚えたのを実物が無くても読むということを低学年から続けていました。過去問などでも、何文字で抜き出すとか、下線部と対応する箇所を探すといった受験勉強特有のテクニックを少し練習したら、ほぼ7~8割が得点できるようになりました。

越えなければならないハードルは算数にありました。どうも小4~5あたりの算数が不十分で、分数の割り算かけ算、小数・割合といった分野のやり直しが必要でした。そこで購入したドリルは、小杉拓也(2017)『小学校6年間の算数が1冊でしっかりわかる問題集』かんき出版でした。苦手分野だけじゃなくて、すべてを振り返った上で、苦手分野を繰り返し理解できるまで演習しようと考えました。過去問は別として、購入した唯一のドリルとなりました。

夏休みに時間をとって勉強につきあいましたが、集中して勉強した経験が少なく、小学校の勉強は適当にこなしてもまあまあできていた三女にとっては、かなり苦痛の日々だったようです。秋、私自身が忙しくなったこともあって、算数ドリルをだらだらやるくらいのペースに落ち込みました。それを救ってくれたのが11月末にあった志望校の入試対策説明会でした。教室でプレテストを受け、解説授業を聴いて、入学したいという希望を再び本人が自覚するようになりました。

12月、志望校の過去問とそれに似た出題傾向のある学校の過去問をネットからダウンロードして、何セットも印刷しました。特に算数は、得点源にすべき最初の計算問題群すら失点する有様で、計算力不足と経験不足を痛感することになりました。名物校長着任で、学校説明会は受験生と保護者であふれかえる状況となり、昨年度までの難易度が通用しないことも分かっていたので、不安ばかりが先立った頃です。

年末年始、国語は得点できる前提で、受験勉強の時間を算数に全振りしました。過去問やって、弱い分野をドリルで集中的に潰すという作戦です。この時点で、購入した算数ドリルは複数回やっていたので、「かみのドリル」さんにお世話になりました。算数の得点目標を5割に定め、最初の計算問題群、旅人算、濃度の計算は完答を目指し、三角形や角度は本人のノリで挑戦させる方針を決めました。図形はもともと得意な分野でした。

ネット出願&受験料決済、そして受験票と写真票はダウンロードして印刷という段階で、三女は気持ちの谷間に落ち込み、ふくれっ面で受験用写真を撮影することになりました。残り数週間、なだめすかししながら乗り切るしかないと覚悟したのを覚えています。最後一週間は、過去問と「かみのドリル」の得点対象分野のみを繰り返し問題演習を続けました。私自身は大学の定期試験監督業務以外の時間を三女の勉強につきあうために振り向けました。ある意味で自由業で都合の良かったところです。

東京都での受験解禁日、2月1日を迎えました。この日は、午前と午後の2回試験を受けます。名物校長からは付き添い保護者らに「試験が終わって、どうだった?とは絶対に尋ねないでください」という助言もありました。そこでメンタル崩壊したら中受シーズンを乗り切れないからという意味でした。午前が終わり、近所のファミレスに行き、ランチ&パフェデザートで午後への英気を養います。

午後も終わり、帰宅してまもなく、ネットで午前分の合否発表がありました。結果は不合格でした。2月1日午前に第1志望を受験するのはセオリーですから、合格する可能性があるなら午前だと思っていました。翌日午前に算数1科目受験も同時出願していたので、三女に問題演習するかと声を掛けましたが、本人の落胆ぶりはひどく、自室のベッドでふて寝して夕食もとろうとしませんでした。

そして午後分の合否発表時刻、22時を迎えました。合格通知の画面を確認してから三女を呼び出し、喜びを分かち合いました。本人も午後の算数は3割くらいしか得点できなかったので自信なかったと言っていました。本人の自覚する出来不出来は、問題の難易度と他の受験生との関係もあるので当てにならないのを実感しました。

こうして三女の人生の進路をかなり強引に曲げた(修正した?)二人三脚は当初の目標を達成して終わりました。インドア派だった三女が、次女の中学部活でやっていたソフトテニス部に入ったのは変化の兆しとして面白いと思います。4月中はあまりのテンションの高く保っていたせいか、帰宅すると夕食もとれずにベッド直行だったりダイニングでうたた寝したりといった姿がありました。中学校生活を楽しめているようで何よりです。

そうそう「英語が一日に2コマもあったりして多い」ことに気付いたようです。中学だから多いのは当たり前でしょと煙に巻きましたが、公立中学に比べて多いのは承知していたカリキュラムです。この先、留学を含めてグローバルに活躍できる能力を磨いてもらうべく、この学校には期待しています。

ちなみに受験体験記に母親である相方は出てきません。年末年始も週休しかとれない激務なのも理由なのですが、子どもの教育に関しては夫婦の役割分担で一任してもらっています。受験当日も終日、自宅には三女と私だけがいました。気分の浮き沈みがあり、私が激ツメしているときにも口出しせず見守ってくれたことに感謝しています。