「超過死亡」への誤解

「超過死亡」というのは、公衆衛生学や人口学そして社会保障論に関連した学術用語です。それが注目されるようになったきっかけは、3月頃に海外メディアが新型コロナウイルスによる死亡と診断されていない、隠れた死亡者がいるのではないかと国際比較を始めたことです。

英BBCは「超過死亡」に関連した続報をほぼ毎月ニュース記事にしています。リンク先は2020年6月の記事です。この記事の説明はそれなりに適切なのですが、日本に関する説明だけはいただけません。

日本 (3月01日 – 3月30日)
日本 の死者数は平年より 0.3% 高く、平年より 400 人が多く死亡した

BBC記事

2020年4月の人口動態統計月報速報と比べてみましょう。

人口動態統計月報速報(2020年4月分)の昨年比グラフの配置を著者修正

2月、3月に感染症予防に努めたり、学校閉鎖した結果と思われますが、赤線で示される死亡数は昨年を下回っています。一般的に冬はインフルエンザとその関連死が多い季節ですが、2019-2020年シーズンは1月中に収束したと見込まれています。日本は多死社会ですから、昨年比では死亡者が増えるのがトレンドです。右図「当月を含む過去1年間の自然増減数」の昨年分青線が右下がりになっているように、今年分赤線は右下がりになるはずが横ばいになっています。

つまり日本では「超過死亡」どころか、「超過生存」※こんな用語はありません!が発生しているわけです。「超過死亡」は素人さんが振り回して良いのは床屋談義までで、誤解したまま使うとろくなことにはなりません。

日本国内では、国立感染症研究所が季節性インフルエンザ・サーベイランスの一環として公表している、インフルエンザ・肺炎死亡報告が注目されました。

ふだんは専門家しか注目しないテクニカルなデータが公表されているページです。さらに、このグラフは2月に死亡数が飛び出る数値の速報から下方修正されました。これにSNSや個人ブロガーが飛びついて、「超過死亡」が発表された!やっぱり新型コロナの検査が足りないといったバズりが見られたわけです。「人口動態における超過死亡」と「インフル関連死における超過死亡」は別の定義なので、前置き無しに比べると先走ります。そもそも2019年の49週目、つまり11月末の時点で東京で超過死亡が発生しているわけですが、インフルエンザ以外の要因は見当たりません。

公衆衛生学で用いられる、アメリカ疾病管理予防センターCDCの「超過死亡」=Excess Deathsの定義は次の通りです。

Number of excess deaths: A range of estimates for the number of excess deaths was calculated as the difference between the observed count and one of two thresholds (either the average expected count or the upper bound of the 95% CI), by week and jurisdiction. Negative values, where the observed count fell below the threshold, were set to zero.

https://www.cdc.gov/nchs/nvss/vsrr/covid19/excess_deaths.htm

定義によれば、死亡数の平均的期待値と閾値の95%信頼区間を超過したものが超過死亡になります。つまり「死亡数の平均的期待値」の推定に失敗すると、「超過死亡」も推定できなくなります。

国内ローカル人口統計は「超過死亡」に使えない

東京都や大阪市といった大都市が公表する人口統計/推計は、「死亡数の平均的期待値」を適切に推定できないため、「超過死亡」の議論には使えません。ローカル人口統計にはは出生/死亡による自然増減だけではなく、転入/転出による社会増減が影響するためです。

特に65歳以上人口が変化するとローカル人口統計の死亡は大きな影響を受けます。大阪市は2015→2016年に平年とは違う65歳以上人口が0.3%(2.3万人)増加するというショックが起きているので不連続な構造が生まれています。死にそうな高齢者が増えれば、当然のことながら死亡数は増えるトレンドになります。

東京は転入による人口の社会増がトレンドです。人口の年齢構成が不連続であれば、自然増減にも影響を与えるので、単月の死亡数だけに着目をすると判断を誤ります。

シンプルな思考実験として、転入により前月より2倍に人口が増えた都市があると仮定してみると、そこで死亡数が2倍になっても何も不思議ではありません。それは「超過死亡」ではありません。「死亡数の平均的期待値」を適切に推計できないからです。

人口動態統計のように一国の統計の場合は、厳密にいえば海外移住・移民を考慮しなければなりませんが、国内での社会増減はプラスマイナスゼロで帳消しできるので、自然増減だけを集中して観察することができます。

どんなときに「超過死亡」を使えば良いのか?

「超過死亡」を使って新型コロナウイルスの影響を議論しなければならない場面とは、日本では毎日の感染者数が1000人を超えて、医療資源がひっ迫し、感染経路やクラスターも判然とせず、自宅で原因不明死で亡くなる人々が増えている状況です。

2020年7月時点では、医療機関を受診する際に発熱していれば発熱外来に回されますし、治療の必要がある人が受診したときにはPCR検査が実施されて、陽性か陰性かの判定がなされます。感染クラスター追跡によって、無症状の濃厚接触者も検査対象になっているので、原因不明死が急増している状況ではありません。

人口動態統計のみが、日本の「超過死亡」を判定できる材料だということを最後に強調しておきます。その材料から言えることは「超過生存」=Excess Lives(私の勝手な造語)すら発生しているのです。今後、トレンドでは死ぬはずだったのに生きている人々がどうなるのか見守りたいと思います。どこかで帳尻合わせに亡くなるのか、多死トレンドを曲げたまま推移するのか。