高野和明『ジェノサイド』


「このミス」とか、いくつもの文学賞を受賞している作品だ。直木賞にノミネートされたらしいが、こっちは逃している。ジュンク堂書店吉祥寺店で平積みされているものを手に取ったのが運の尽き、夜読み始めたら明け方まで読み通してしまった。翌日も仕事があったのに。日本、アメリカ、欧州、アフリカと世界各地でのシーンが同時並行しながらつながっていく、スケールの広い展開の「SF」として楽しめる。

Amazon: 高野和明『ジェノサイド』

Amazonレビューが「炎上している」というべきだろうか?歴史問題に異常に熱意を燃やす、ある種の集団を引きつけてしまっている感がある。作品レビューでトップに来ている3つは、著者の歴史観についてとても手厳しい。いわゆる自虐史観が盛り込まれているし、それは本筋とは無関係だろう、という指摘というか批判が「このレビューが参考になった」投票数を集めている。まあ、それが気になる人は気になるだろうし、別に~という人もいるだろう。バチスタシリーズの海堂尊氏などは自説を世間に広めるためのメディアとして小説を書いているわけで、自分の歴史観を著者が作品に盛り込もうが勝手だと思うなぁ。読者がポリシーに反するものを読まされたと憤るのはおかしな話に思える。

ところで、海堂尊作品や東野圭吾作品を読んでいて、映画やドラマのシーンが続くような感覚をおぼえることがある。実際に映画化されたりドラマ化されているわけだから、それ向きの作品なのだろうと思う。では、この『ジェノサイド』はどうかと言えば、著者インタビューが参考になるだろう。

新刊JP: 『bestseller’s interview 第31回 高野 和明さん』

―映画監督志望だったということですが、本作『ジェノサイド』を映画化してみたいと思ったりしますか?
高野  「小説家になってからすぐに考えを変えたんですけど、やはり小説は小説ですので、映像では表現できないようなものを、と思って書いていますね。
『ジェノサイド』を映画化したらどうか、とよく言われるのですが、これをこのまま映画化したら、本当にしょぼいアクション映画にしかならないと思います。全編を映像にして思い浮かべていただけるとすぐに分かると思いますが、現象面として描かれていることは、実は大変に地味なんです。戦闘場面も、小規模なものが二カ所しかありませんし。
それを言葉の力を借りて緊迫感を盛り上げたり、キャラクターの感情面を大きく動かしたり、あるいは映像では表現できない人類史のようなファクターを盛り込んで壮大さの方向に持って行っている。重要なことはすべて活字で表現されているんです。
道義上、映像にできない場面もたくさんありますが、それは小説という形式を意識して敢えてやったことです。人間が現在も行なっている残虐な行為は、あまりにも残虐すぎて映像では映し出せない。活字でやるしかないんです」

映画化は難しそうだ、というのが結論だった。